投資とダイエット、転職について書く。転職公務員が長期投資でアッパーマス層を目指すブログ

気が向いたときに、ふらっとかける日記が欲しかった。しがないアラサー既婚男子の日記。2020年10月より早期退職を目指していたが、公務員に転職して定年まで働いても良いかなと思い始める。投資は原則月に一回。2022年4月、ついに観念してダイエットを志す。(5年連続5回目)開始時は74.8kg。

恥ずかしい昔語り

私の所属していた少年野球チームは気づいたときには某政治的宗教によってレギュラーが決まっていた。

プレーしていた当時は試合に出れないメンバーに対して彼は足が遅いから、彼は肩が弱いから、と理由をつけていた。でも少年野球においてファイブツール全て揃った選手などチームに9人もいないわけです。

5年生の頃から6年生に混じって試合に出ていたような選手がレギュラーから外れたり、4年生でそこまでうまくないのにスタメンで何度か出てたり。今思えば不可解なことばかりでした。

中学では2年生の夏までいて出場試合数は公式戦0試合。練習試合は3試合。打席には一度も立ったことはなく新人戦でもチャンスはなかった。一応同学年では2番手捕手で公式戦のベンチ入りはしていたのだが、同じポジションで1年生が先に新人戦で起用されるようになり、納得できずに辞めた。(注 もちろん学年2番手捕手に回ってくる出番は殆どない。力関係は各学年に5人捕手がいて、背番号順に3年1番手>2年1番手>3年2番>2年2番>3年3~5番>2年3番>1年1番>2年4·5番>1年2番以下となっていた。もちろん、その力関係の順番が変わっただけのことである。)

あの頃、もっと試合に出れたら高校でも野球を続けていたでしょう。そうしたら高校で駅伝をやらずに都大路は経験できなかったかもしれない。高校のチームは最高に辛かったけど、最高に刺激的で、輝いてた。過去は常に美しく見えることを差し引いても。

その後、大学でも陸上を続けて、就職してからなぜか陸上繋がりの知り合いから「野球しようよ」とかどこかのゲームのセリフで草野球に誘われて。

そこで知り合った女性プレイヤーと結婚までするのだから、人生とはわからない。

スポーツの実績や経験が人生に役立つのはごく一部のエリートだけだと思ってたが、案外そうでもなかった。

もし、今の小~高校生くらいでやってるスポーツが苦になっているなら、もう限界、と思えるくらいやって望む結果が得られないときは辞めていい。まだ頑張れそうと思えるならもうちょっと続けたほうがいい。

辞めるにしろ続けるにしろ苦労はするし、どちらにせよ本気になったスポーツは多くの辛いことに僅かな楽しみを探し出すような経験をすると思う。

直接そのスポーツで結果がでなくても、どこかで打ち込んだことは活かせるよう、心身ともに成長しよう。