振りかえり 中学2

さて、陸上部に入った2年の秋。

もともと性格にも難のある自分はここでもハブられます。中学生の身分には厳しかった記憶。でも、そのくせ生徒会やってたりもします。そこでも嫌われるんですがね。

ずっと嫌われ続けていたわけですが、陸上部には幼稚園からの付き合いの友達がいたので周りから嫌われる割には楽しい記憶もちょっとあります。でも、根本的には中学に嫌々通うのは親がうるさいからと、良い高校に行くために必要な内申点(すでに失敗しているが)のためでした。余談ですが(注 ブログの内容は全部余談)この時期には良い高校に入って良い大学に入って、一流企業に勤めないと一生つらい人生になると教え込まれてましたので、必死です。だから不登校にはならなかった。すでに社畜根性が植え込まれていたのですね。金のために仕事に逝くのと何ら変わりない。

そんなこんなで2年も終わります。あと中二のころに覚えているのは教育実習の先生で、就職後に高校時代のライバル校の監督として全国駅伝に出たのを知って驚いたくらいですね。

 

3年生

相変わらず暗い人生を送るなかで1つの転機が訪れます。

体育祭。

過去2年も野球部ながら長距離走(1000m)の選手に選ばれてクラス代表で走ってましたが大抵8/16位あたりでした。今回は陸上部なので走る前から力関係は分かっています。99%6位だと(3年長距離部員+400mの県5位の6名中6番目。陸上部で一番遅い)部員の中でも思っていましたし、自分なんかに負けるはずがないとだれもが思ってました。しかし走ってみると3位。しかも後ろとは結構差が付いている。スポーツで久しぶりに楽しい瞬間でした。

この結果、春の通信陸上(全国まであるメインの大会)に800mの選手として選ばれます。この選考には保護者から猛烈なクレームがありました。もともと選手候補だったメンバーが外されて、途中から入部して、しかもたった一回勝った奴を使うのはおかしい、と顧問は保護者説明会で言われたそうです。うちの母親も居づらかったことでしょう。しかし顧問はそのままのオーダーで提出してくれました。

この結果、また自分に対する風当たりが強くなりますが、そんなことより自分がレギュラーになるのは初めてだったのでとても嬉しかったです。

 

そして試合当日。誰もが自分は予選落ちだと思っています。これは選んだ顧問も予選通過は厳しいだろうが、もしかすると狙えなくはないと言っていました。父親(かつて九州の某地区駅伝区間記録保持者)も「決勝(予選全体で上位8人)は無理だから最初から悔いなく飛ばしてこい」と言うので「せっかく選ばれたし頑張るか」くらいの気持でした。

800mはトラック2周。中学の市大会は人数が多いので800mでも30人の一斉スタート×2組。「位置について パン!」スタートする。実際に走るとよくわからないが、出遅れる。1周と少ししたところではかなり前の方だったらしい。残り200で前には4~5人。とにかく走ると先生がなんかめちゃくちゃ興奮して「○○行け!」と叫んでいるのが聞こえる。で、ゴール。タイムは1着のもので止まっていてわからない。

 

レース後に陣地に戻るとみんなが「お前すごいな」という。でも自分は「あ~やっと終わった。試合に出るのは楽しいな」くらいに考えていた。

ダウン中「3着  2′12″55」とアナウンスが入り自分の記録を知った。目標が2分22秒で2分20秒を切れば100点と先生に言われてたので驚いた。聞き間違えだと思って確認するがやはり同じ。しかも決勝に残っている。先生にレース後の報告に行くと肩をめっちゃ叩かれ「どうしたんだ○○。すごい頑張ったなとにかくもう一本頑張れ」と興奮気味に言われた。とても嬉しかった。

その後の決勝は断トツの最下位。でも決勝は8人だけなので入賞。

その時は4位までが県大会だと思ってたが、後日「え、お前も県大会出るんだよ」と言われて知った。学内でヒエラルキーの高い野球部でも県大会に出るのが目標だったのに自分がその舞台に立つとは思わなかった。

この日を境に環境は変わった。翌週の朝会で表彰されると、今までイジメていた奴が消えていった。もちろん蔭口などはあったのだろうが、面と向かって苛められることはなくなった。周りもなんか普通に話しかけてくれるようになった。中学の時は序列がスポーツで決まることはよくあるが、こんなに変わるものかと驚いた。

また、友達も増えた。同じ試合で入賞した奴同士で話すようになり、合同練習や休みの日に遊ぶようになった(社会人になった今でもそいつと遊ぶこともある)。

 

もし学校でいじめに悩んでいる人がいたら長所を伸ばせと言いたい。

その後、高校受験は失敗するが第2希望のところに行くことになる。

希望理由は近いからと、ここなら自分でも駅伝出れて、かつ関東駅伝に出れると思ったから。もうひとつ受かったところは駅伝強豪校でまた野球部のときのようになると思っていかなかった。この選択があとで逆になるなんて思わなかった。