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高校時代

陸上でレギュラーがとれそう+そこそこの大学に行ける+近い、ということで入った高校。

一応市内では上位の進学校でテニスや吹奏楽部が強いという触れ込みであった。

入学前の練習に行くと同世代で800m全国8位の奴がいる。うそだろ?と思った。

というか、入部した中で一番遅いのが自分だった。ちょっと調子に乗っていたところで県大会に出た程度では通用しない世界に来てしまった。こんなはずではなかった。

 

高校3年間は語るのがある意味簡単である。

3年間、部活してた。

これに尽きる。あとは、大学は浪人でいいやと思ってたら、自分以外みんな現役で進学してた。

この2点。中学時代もそうだったが、ここから先は部活の話しか出ない。

 

1年目。部員は長距離だけで20人くらい。チームの目標は関東駅伝出場。休みは月2~4日。朝・午後の2部練習と、春夏の合宿がある。

県内でもめちゃくちゃ速い1個上の先輩を軸にしたチーム。

練習は3グループに分かれ、メニューは全部監督が決める。

みんな中1からやっていたが自分は中2秋から。基礎が全く違う。スポーツにおいて基礎力が違うということは致命的であり、練習には当然ついていけない。そして、中距離ブロックがない。長距離みんなで1ブロック。ほぼ全員5000mをやる。1年目でついていけた練習は3回しかなかった。あまりの実力差に退部もよぎったが、この監督には部活やめたいなんて言いだせない雰囲気がある。周りも「やる気ないなら辞めちまえ」とはいうが、実際に辞めようとすると辞めさせてはくれない。個人では全くだめだったが、チームは県駅伝4位で関東に出場した。同期ミーティングでは全国駅伝に出ることを目標にした。また、この年には先輩が長距離種目で高校史上初のインターハイに出場した。

 

2年目。

後輩が入るので自分と同じくらいの実力の人と練習できるかと思ったら、そんなことはなかった。最初のうちはできたけど、やはり差がつく。2年目も記録は伸びるがチームでは下の方。駅伝のコースでタイムトライアルをする試走では区間6位相当のタイムは出たが、それでもチーム内では下から4番目くらい。この年は1学年上のエースが県高校記録を更新し、その先輩を擁して全国を目標にしたが県駅伝2位で叶わず。誰も喜べなかった。

 

3年目。

もっとやばい新入生が入学してくる。

ほとんどが県大会上位入賞。しかも一人は3000mが8分30秒。全国中学歴代30傑にのっている。

ただ、意外と彼らのうちの何人かと競ることができるくらいに自分も伸びていて、2000mTTでは校庭で6分02秒とまずまずのタイムで走れた。

駅伝当日までに自分たちは14分50秒台が2人、ほかは15分一ケタ~20秒台が5人。優勝候補筆頭は14分20秒台が1人、15分を切ってるのが5人。残りが15分一ケタ。地元新聞ではライバル校、10連覇は

盤石と書かれていた。自分たちは先輩が抜けて4~7位の関東大会争いと書かれていた。

 

しかし、1区から自分たちは予想を覆す。

大方の予想では1区で1分近い差をつけられて、その後も広げられて完敗、というシナリオが大多数だった。某ネット掲示板でもそうである。しかし、3年生がくらいついて20秒差の3位。その後はこちらのプラン通りに進んで優勝。ネットや地元紙ではまさかの優勝とされたが自分たちは5分5分くらいには思っていた。先生は20%くらい勝てると思っていたらしい。

 

こうして自分たちは無事全国へ行き、(ちょっとした事件も起こし)卒業しました。

この3年間ではたとえ周りがなんと言おうと、正しい方向の努力をすることで可能性は大きく広がることを知りました。また、一つを選ぶことは一つを捨てることであり、どっちの選択をしたいか常に選ばなければならないことも知りました。

 

でも、良いことばかり書きましたが、高校時代は部活以外の人間はみんな「口では勝ちたい、頑張ってるって言うけど、お前らそんなに努力してないじゃん。体育祭の前にもっとガチになるものがあるんじゃないの?そっちにまきこまないでくれ。」って思いながら過ごしました。選民意識みたいな感じです。今思うとそれは間違っているのですが、当時は「これが正しい。自分たちが正しく、結果も出した」と自負していました。

 

今、草野球チームに1つ上の他の部活だった先輩がいますが、あのころは本当に若かったと思っています。

振りかえり 中学2

さて、陸上部に入った2年の秋。

もともと性格にも難のある自分はここでもハブられます。中学生の身分には厳しかった記憶。でも、そのくせ生徒会やってたりもします。そこでも嫌われるんですがね。

ずっと嫌われ続けていたわけですが、陸上部には幼稚園からの付き合いの友達がいたので周りから嫌われる割には楽しい記憶もちょっとあります。でも、根本的には中学に嫌々通うのは親がうるさいからと、良い高校に行くために必要な内申点(すでに失敗しているが)のためでした。余談ですが(注 ブログの内容は全部余談)この時期には良い高校に入って良い大学に入って、一流企業に勤めないと一生つらい人生になると教え込まれてましたので、必死です。だから不登校にはならなかった。すでに社畜根性が植え込まれていたのですね。金のために仕事に逝くのと何ら変わりない。

そんなこんなで2年も終わります。あと中二のころに覚えているのは教育実習の先生で、就職後に高校時代のライバル校の監督として全国駅伝に出たのを知って驚いたくらいですね。

 

3年生

相変わらず暗い人生を送るなかで1つの転機が訪れます。

体育祭。

過去2年も野球部ながら長距離走(1000m)の選手に選ばれてクラス代表で走ってましたが大抵8/16位あたりでした。今回は陸上部なので走る前から力関係は分かっています。99%6位だと(3年長距離部員+400mの県5位の6名中6番目。陸上部で一番遅い)部員の中でも思っていましたし、自分なんかに負けるはずがないとだれもが思ってました。しかし走ってみると3位。しかも後ろとは結構差が付いている。スポーツで久しぶりに楽しい瞬間でした。

この結果、春の通信陸上(全国まであるメインの大会)に800mの選手として選ばれます。この選考には保護者から猛烈なクレームがありました。もともと選手候補だったメンバーが外されて、途中から入部して、しかもたった一回勝った奴を使うのはおかしい、と顧問は保護者説明会で言われたそうです。うちの母親も居づらかったことでしょう。しかし顧問はそのままのオーダーで提出してくれました。

この結果、また自分に対する風当たりが強くなりますが、そんなことより自分がレギュラーになるのは初めてだったのでとても嬉しかったです。

 

そして試合当日。誰もが自分は予選落ちだと思っています。これは選んだ顧問も予選通過は厳しいだろうが、もしかすると狙えなくはないと言っていました。父親(かつて九州の某地区駅伝区間記録保持者)も「決勝(予選全体で上位8人)は無理だから最初から悔いなく飛ばしてこい」と言うので「せっかく選ばれたし頑張るか」くらいの気持でした。

800mはトラック2周。中学の市大会は人数が多いので800mでも30人の一斉スタート×2組。「位置について パン!」スタートする。実際に走るとよくわからないが、出遅れる。1周と少ししたところではかなり前の方だったらしい。残り200で前には4~5人。とにかく走ると先生がなんかめちゃくちゃ興奮して「○○行け!」と叫んでいるのが聞こえる。で、ゴール。タイムは1着のもので止まっていてわからない。

 

レース後に陣地に戻るとみんなが「お前すごいな」という。でも自分は「あ~やっと終わった。試合に出るのは楽しいな」くらいに考えていた。

ダウン中「3着  2′12″55」とアナウンスが入り自分の記録を知った。目標が2分22秒で2分20秒を切れば100点と先生に言われてたので驚いた。聞き間違えだと思って確認するがやはり同じ。しかも決勝に残っている。先生にレース後の報告に行くと肩をめっちゃ叩かれ「どうしたんだ○○。すごい頑張ったなとにかくもう一本頑張れ」と興奮気味に言われた。とても嬉しかった。

その後の決勝は断トツの最下位。でも決勝は8人だけなので入賞。

その時は4位までが県大会だと思ってたが、後日「え、お前も県大会出るんだよ」と言われて知った。学内でヒエラルキーの高い野球部でも県大会に出るのが目標だったのに自分がその舞台に立つとは思わなかった。

この日を境に環境は変わった。翌週の朝会で表彰されると、今までイジメていた奴が消えていった。もちろん蔭口などはあったのだろうが、面と向かって苛められることはなくなった。周りもなんか普通に話しかけてくれるようになった。中学の時は序列がスポーツで決まることはよくあるが、こんなに変わるものかと驚いた。

また、友達も増えた。同じ試合で入賞した奴同士で話すようになり、合同練習や休みの日に遊ぶようになった(社会人になった今でもそいつと遊ぶこともある)。

 

もし学校でいじめに悩んでいる人がいたら長所を伸ばせと言いたい。

その後、高校受験は失敗するが第2希望のところに行くことになる。

希望理由は近いからと、ここなら自分でも駅伝出れて、かつ関東駅伝に出れると思ったから。もうひとつ受かったところは駅伝強豪校でまた野球部のときのようになると思っていかなかった。この選択があとで逆になるなんて思わなかった。

振りかえり 中学

主にいじめと野球の記憶しかない小学校時代を抜けると、そこは中学校であった

 

はい。中学ですね。ここでは出会う人の数が一気に増えます。

まずは1年生。

かつて同じ幼稚園だった人とかがいたりして、久々に会って楽しい気持ちもありました。ですが、小学校のイジメグループに相変わらず苛められます。野球部でも下手なので基本的には練習試合の塁審を務めるか、練習の補助役(プレーは下手だが、野球をよく知っていると見られてた)。ただ、それでも元来真面目君な私は学級委員をやってたりします。で、それらが楽しかったかというとそんなことはない。真面目でつまらない人間の典型例。ここまではそんなにいい思い出のない人生ですね。でも、この時に出た地元のマラソン大会の審判に中学の陸上部の先生がいたことが後につながります。

 

2年生。

この2年の夏に部活やめました。○○部活やめるってよ、って感じでもなく普通に「あいつ辞めるんだ」「ふ~ん」くらいだと思いますね。学年で2番目の捕手。しかも外野に回されて「あ、もうここで試合出るのは無理だな」と思いました。父親にも「今までの試合数(2年夏の時点で3試合3イニング出場で打席数0 本当に野球やってたのかw)で、この時期にコンバートは戦力外」と意見が一致したこともあり、退部しました。親の影響は大きい。一度始めたことを辞めるのはこれが初めてです。大きな決断でした(ちなみにこの後野球部顧問が担当してた科目の成績が5から3になりました。内申点で進路が決まる身分には非常につらい)。ここで地元のマラソン大会云々が出てきます。退部届を出したのを見て陸部の先生から「陸上やってみないか」と言われたのです。

振り返り

そういうことで振り返りですね。
はい。まずは幼稚園。
覚えている記憶はあまりない。
その頃からの友達がいたのは覚えているが、どんな風に遊んだかは覚えてません。劇でそこそこ良い役をやったことは覚えている。あとは、誕生日月は園長先生とお昼を食べる日があった。怒られたことと、イジメられたことはよくおぼえています。

次は小学校。
父親がそこそこスポーツができたせいか、自分にも同じものを求めて朝から野球をやる。が、キャッチボールすら出来ずに4年間続く。苦痛である。
また、学年に関わらず大体イジメられる。もっともこれは自分の性格にも難が有ったと思う。
英会話も自分からやりたいと言ったが、5年生くらいで躓き、嫌になる。しかも我が家では一度始めたことを辞めることは許されない。
少年野球になると2~3個は良いヒットを打ったときを思い出せる。が、サインの見落としやエラーの為に百本ノック等嫌なことの方が思い出になっている。尚、小学校のイベントは殆ど雨である。

次に続くはず。

昔はよかった 過去は本当に美しいのか

このブログアカ作っていたことに始めて気付きました。まさか登録の時にすでに登録されています、と言われるなんて思わなかった。

さて、20代も後半になり仕事をしているといつも「学生のころはよかったなぁ」と思ってしまいます。何でも巷では「バブルの頃は良かった」「若い頃は何でも出来た」等という言葉が聞かれるそうで、遂に自分も過去を懐かしむ歳になってしまったようです。

しかし、これは本当なのでしょうか?
同じ様に歳を取ると言い出す言葉として「最近の若者は…」があげられます。この言葉の歴史は古く古事記には既に記載されております。太安万呂や稗田阿礼もさぞうんざりした気持ちで纏めたことでしょう。

話は脱線しましたが、果たして本当に自分の学生時代が良かったのか、振り返ってみたいと思います。